参加者募集中!!


 曽我どんの傘焼きは、鹿児島三大行事のひとつです。

今年も例年通り甲突川河畔で実施されます。沢山の方の御参加をお待ちしています。

また、見るだけではなくこのお祭りに直接参加して一緒に傘を焼いていただける方を募集しております。

鹿児島の伝統行事に参加してみませんか?子供から大人まで誰でも参加できます。衣装などは当方にて準備致します。

下記問い合わせ先までご連絡をお待ちしております。

21年度の傘焼きの写真を公開しています。ここをクリックして下さい。

傘焼きに使用する和傘は岐阜市和傘振興会および鹿児島県民のみなさまの御厚意により提供頂いております。

 

 

ここをクリックすると「傘焼き」のイメージアニメーションが表示されます。 
(少し重いです。別ウインドウで開きます。)


日時:平成22年7月18日(


  

開催自粛のお知らせ

 22年度の傘焼き行事は、7月18日に実施すべく準備を進めてまいりましたが、宮崎県において発生した口蹄疫が完全終息せず、いまだに同県においては非常事態宣言が発せられている状況を考慮し、推進協議会で実施の可否について協議を重ねた結果、本年度の傘焼き行事の全てを自粛する、という決断に至りました。

誠に断腸の思いではありますが、この先、「傘焼き」という伝統行事を継承して行くためにも、強行よりも自粛という英断をくだしました。

鹿児島・宮崎ほか、畜産関係はじめ多くの方が毎日、口蹄疫対策に苦労されている姿を報道等で目に致します。
一刻もはやく、終息し、平和な日常が戻ることを心よりお祈りいたします。

                                  平成22年6月25日

     

  

 



場所:甲突川河畔・南州橋付近
主催:「炎の祭典〜曽我どんの傘焼き」推進協議会・鹿児島三大行事保存会
協賛:岐阜市和傘振興会 他

連絡先・問い合わせ先:

    鹿児島三大行事保存会 会長 野津 親俊 (のづ ちかとし) 099−229−8059
  パールランド病院内 リハビリテーション部  野津 親俊 Tel 099−238−0301 内線(181)
      mail@pearlland.or.jp
  特定非営利活動法人「CSS九州」 Tel 099−206−1881

    鹿児島三大行事「曽我どんの傘焼き」保存会H.P.

《会場のご案内》

 

南州橋下流、維新ふるさと館裏の甲突川で実施いたします。

鹿児島中央駅から歩いて行ける場所です。
例年通り、たくさんの御来場をお待ちしております。

 

 

鹿児島の三大行事の
  曽我どんの傘焼き= 鹿児島夏の風物詩 =


受け継がれるもの、変化するもの    
                                                           金蔵 照雄 氏
                                      
                                              元・『かごしま文庫』編集長



 鹿児島市内を貫流する甲突川の川原に台場が築かれ、その上に組まれた櫓(やぐら)の上に次々に投げ込まれる唐傘が燃え上がって火の粉を散らし、夕闇迫る川面を赤々と照らし出す。
凛々しい裸形の若者たちは、頬を紅潮させ、ぐるぐると炎の周りを回りながら、「曽我兄弟の唄」を高らかに歌い上げ、燃えさしの傘の柄で流れの水面をたたく。しぶきが白く跳ねる。辺りはすっかり暮れて夕闇に包まれるが、川岸近くの橋の上には黒山の見物人がつめかけ、涼しい川風に吹かれてにぎやかな歓声が上がる。
 旧暦5月28日の甲突川の川原では、毎年このような炎の祭典が繰り広げられる。かつては県内のあちこちでこうした祭りが盛大に行われて、それは鹿児島の夏を彩る風物詩となっていた。

 今を去る八百年前の建久四年(1193)5月28日、源頼朝(よりとも)は富士の裾野で巻き狩りを催した。
その夜、降りしきる激しい豪雨を突いて、曽我十郎祐成(すけなり)と弟・五郎時致(ときむね)の兄弟が18年間の忍苦の末に父の仇、工藤祐経(すけつね)を討ち取って、長年の宿願を果たした。
この時、兄弟が闇夜の中で松明代わりに唐傘を燃やして辺りを照らし、祐経の陣屋に討ち入ったという故事に倣って、わが薩摩藩の若者たちの間に起こったのが『曽我どんの傘焼き』行事であった。
この行事が、いつごろの発生か、判然としないが、数千キロの距離と八百年の時の流れを超えて起こった遙かな故事を踏まえて、この行事が今日まで受け継がれてきたのは、薩摩の先人たちが薩摩藩独特の青少年教育であった『郷中(ごじゅう)教育』の中にこれを生かし、伝統としたからに他ならない。

 戦前の鹿児島では、この日が近づくと健児の舎を中心に稚児(ちご)たちは大人の力を借りることなく、長稚児(おせちご)や二才(にせ)たちの指導の下に傘焼きの準備に立ち働く。
この間に若者たちは、社会生活のしきたりや事に当たるときの礼儀作法、集団生活や共同作業のルールなどを身をもって体験する。
そして「議を言うな」という不言実行の郷中教育の伝統精神が涵養(かんよう)されていくのである。
『曽我どんの傘焼き』行事で、今日まで受け継がれるものがここにある。今、郷中教育が見直されつつある所以であろう。

このように『曽我どんの傘焼き』は忠孝が絶対の道徳規範であった封建時代に、曽我兄弟の行動が人々の心を打ち、その孝心をたたえたことには違いないが、さらに、父亡き後の18年間、あらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて所期の目的を達成したという点に人々がいっそう感動を深めるものがあったのであろう。
しかし、現在は人々の価値観や世相が大きく変化し、さらにこの行事の主役である唐傘そのものが入手困難という事態になってこの行事の衰退が心ある人々の気分を沈めさせていた。

 ところで今、この伝統行事の上に新しい機運が芽生えようとしているかに見える。これまで困難な幾多の障害を克服して伝統ある郷土行事を、ともかく今日まで継続されたのは、二百年前の木曽川治水工事の恩義を忘れず、いまだに唐傘数百本を毎年無償提供してくださる岐阜市の和傘振興会の献身的なご努力を含めて、ひとえに鹿児島三大行事保存会の熱意と努力に負うところが大きい。
そこへ数年前から市内の中・高等学校などの参加が見え始めた。実施・運営にNPO法人支援があり、協力・後援には鹿児島県・市やいくつかの団体・マスコミの名が連なるようになった。
運営実施の新しい形態として前夜祭、中学生による吹奏楽、「和灯り幻想」と呼ばれる灯篭展示、リバーサイドコンサートなどのイベントが加わった。
また薩摩の伝統文化ともいえる薩摩琵琶の弾奏、薩摩独特の武芸の自顕流(じげんりゅう)演武や剣詩舞など、伝統文化披露の舞台ともなった。

炎々と燃え上がる伝統の傘焼きの炎の中にきらりと光る薩摩の姿が浮かび上がる。
「伝統行事というものも、かたくなにその伝統にしがみつくものではなく、時代の流れとともに変化し、たくさんの人々に見ていただく機会になれば」と願う保存会野津代表の言葉は新しい時代の『曽我どんの傘焼き』の未来に明るい希望を抱かせるものである。
甲突川に新しい川波がたち始めた。今後の発展を願ってやまない。

 ひろば一覧に戻る     ホームに戻る